管理番号 | 新品 :20287764 | 発売日 | 2023/11/12 | 定価 | 10,000円 | 型番 | 20287764 | ||
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■作家・作品紹介
マルク・ザロヴィッチ・シャガール
(1887年7月6日-1985年3月28日)
ロシア出身のユダヤ系フランス人画家。
初期前衛芸術運動の代表的な画家、又、エコール・ド・パリの
中心的な人物。
1887年、ロシア、ウィテブスクに生まれる。ユダヤ人。
シャガールの家族は敬虔なユダヤ教徒であった。
世界は第一次大戦、ロシア革命、第二次大戦と激動していく、
それはユダヤ人にとっては特に重い経験であった。
シャガールの絵にはユダヤが主題になるものも多い。
後年、父のルーツであるパレスティナ、エジプト、シリアを
旅行している。
ペテルブルクの美術学校に学ぶ。
幻想的な絵画は、ユダヤ教の象徴やロシア民衆版画などから来るもの。
民族や、異邦人の悲劇、悲哀など、人間の苦悩が根底にある。
未来派や前衛美術に多くの影響を与えた。
初期には褐色系の色彩を基調とし、ゴーガンやナビ派の影響が
見られる。
パリに出てからは故郷ヴィテプスクやロシアの情景、幼い日々の
家庭内の情景、祭りや婚礼などの絵を描いた。
1910年パリへ行く。
「ラ・リュッシュ(蜂の巣箱)」(芸術家たちの宿)で、
B・サンドラール(詩人)やドローネーらと出会う。
ここで多くの前衛芸術家と知りあう。
フォーヴィズム、キュビズム、未来派など新しいスタイルを知る。
1914年ベルリンの「シュトゥルム画廊」で個展を開く。
これは「青騎士」のメンバーに称賛された。
ベラと結婚。
ベラとの結婚後は幸福な日々をパリの街や故郷を背景に描いた。
1914-23年までロシアに滞在。
マレーヴィチと衝突した。画風の幻想性と非現実性がロシア政府に
嫌われた。
1923年パリに戻り、ゴーゴリ作「死せる魂」の挿絵を描く。
1941年 ニューヨーク近代美術館の招待でアメリカへ行く。
1944年 妻のベラが死去。
ベラの死去後は花嫁と花婿を主題に繰り返し描いていた。
1947年フランスに戻る。
1950年 ヴァンス(南フランス)に住んで、陶器を制作。
1957年頃から、ステンドグラスの制作を始める。
メッツ大聖堂(北フランス)、ハダサ病院(エルサレム)等に
シャガールのステンドグラスがある。
1964年パリのオペラ座の天井画を制作。
1966年17点の連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈。
マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための
国立美術館の建設を推進、
1973年、ニース市が土地を提供する形で、86歳の誕生日にニース市に
「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」(現国立マルク・
シャガール美術館)を開館。
1966年から20年近く暮らした、ニースに近いサン=ポール=ド=ヴァンスの
墓地に眠る。
「マーグ財団美術館」に大作がある。
死没月日1985年3月28日
~サイズ~額 : 75×99cmポスター : 51×74cm
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